豊田農園について

沿革と相馬地域でのお米づくり

270年以上 途絶えず
続いてきたお米づくり

私どもの祖先は、良いお米が育つ土地を求めて1734(享保19)年に現在の場所に居を構えたと伝えられています。

これはちょうど徳川吉宗による享保の改革が実施され、農民の負担がたいへん重くなりつつあった時代。より稲作に適した土地を開拓、確保することが、変化に対応するためにはとても重要なことだったと推測されます。

以来十数代に渡ってこの場所で田畑と共に生活してきた私どもは、この地域の風土を熟知し、それらと向き合う方法を数多く蓄積・実践し続ける、米づくりのプロフェッショナルであると自負しております。

農園の前の野馬追行列
農園前を行く野馬追の行列
氏神様の祠
母屋近くの氏神様の祠

豊かな自然と生きものに囲まれた農園

田畑が自然と共生できる状態にあってこそ、安全・安心な農産物をお届けすることができます。もし豊田農園の田んぼをご訪問いただいたなら、地味かもしれませんが、小さなさまざまな生きものに出会うことができるでしょう。それは長い間、環境に負担をかけず稲をのびのびと育てる農法を実践してきた証でもあるのです。

カヤネズミさん
田んぼにはカヤネズミも棲んでいます。
田んぼにと共にいる、さまざまな生き物たち
田やあぜには、さまざまな生き物が

バックは、豊田農園の敷地にそびえ立って見守ってくれる樹齢100年以上の木々。かつては多くの農家で、風雨から母屋を守るためにこのような防風林や屋敷林と呼ばれる樹木が植えられていました。

アイガモの放鳥
合鴨の放鳥(2002年撮影)
JAS認定有機栽培の実績
有機栽培田(2009年撮影)

美味しさと安心・安全を追求

食の安全がしきりに叫ばれる以前より、米本来の力と味を引き出す自然重視の栽培に注目。移行期間を経て1997年より本格的に環境への負荷が少ない農業の実践を開始しました。

2000年には有機農産物の生産者としてJAS規格適合認定を受け、それ以来10年あまり継続安定したオーガニック米の生産を行なうとともに、食味検査やコンクールでも高い評価をいただいておりました。

2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故に伴い、南相馬全域で農作物の栽培が規制されたため、すべての田を休耕。2016年に試験栽培を行い、作付け再開に向けてさまざまな安全性の確認を実施いたしました。

そして2018年より栽培を再開。安全安心の豊田農園というポリシーを守りながら、これまで以上に品質管理を徹底。こだわりの米づくりに取り組んでおります。放射線検査に関しましては商品添付シールより結果が確認できるようになっています。
また、JAS規格に関しても再取得に向けて準備中です。

相馬地域の風土とお米

良いお米をつくるための3大要素として…

  • 第1に気候
  • 第2に土地の力
  • 第3に米づくりの技術

と言うことができます。

元来、豊田農園がある福島県相馬地方は、太平洋岸で通年の日照時間が多く、他府県と比べて穂の発育期である8月以降の昼夜の温度差も大きいため、良いお米ができる条件にかなった地域気候です。

その中でも豊田農園は、豊かな自然が残る阿武隈高地から流れ出る真野川沿いに位置し、太古からこの川によって育てられた集積土の土地と、養分やミネラルを豊富に含んだ水の良さが、より素晴らしいお米を育んでくれます。

明治期以降の農地改革などを経て、東北の太平洋岸に吹くやませにより幾度となく起こった冷害や、農業が衰退の一途をたどる現在に至っても、当園近隣の稲作農家は離農率がたいへん低く、このことから見ても、地域が送り出すお米に対して、質・量共に市場から評価されていることがご理解いただけるかと思います。

真野川の豊かな水
良質な水と養分を運ぶ真野川の流れ。
豊田農園付近にて。
松川浦
阿武隈高地からの水が流れ込む松川浦は、
津波前までは良質なアサリの産地でした。
相馬神社 狛犬ではなくコマ馬
千年の歴史がある相馬中村神社は
「相馬野馬追」で知られています。